ゆうもあ・くらぶは昭和29年に生まれました。まだ戦後のイメージが残り、娯楽の少ない時代でした。
そうした暗い時代に、大衆の中からほのぼのとした笑いを創りだし、明るい社会にしようと発足した会です。
趣旨に賛同した人は、徳川夢声、石黒敬七、水谷八重子、春風亭柳橋、宮田重雄、田河水泡、昔々亭桃太郎、榎本健一、
松田トシ、松内則三、古賀政男、並木一路、内海突破、長崎抜天などで、当初47人いたそうです。
そこで忠臣蔵の四十七士にあやかり、発会式を12月14日に日比谷公会堂で行いました。
以後、「ゆうもあ書道展」「ゆうもあ絵画展」「ゆうもあマンガ議会」「ゆうもあ流生け花展」「ゆうもあ運動会」「ゆうもあ珍大五種競技会」「ゆうもあ発明展」「ゆうもあ学校」「親のない子の七・五・三」「老人ホーム慰問」「自衛隊見学会と慰問」「上野駅に特大パンダのぬいぐるみ寄贈」などなど、さまざまな行事を行ってきました。
その中には、茂林寺の狸と阿波の狸の結婚式を執り行うという突飛なイベントや、筑波から捕まえてきたガマガエルを上野不忍池に放流し、都会の人に蛙の歌を聞く風流を楽しんでもらおうといったイベントも含まれています(残念ながら不忍池には蛙が住めないことが実証された)。
また、昭和33年からは、その一年にユーモアで貢献し明るい話題を提供した人に、「ゆうもあ大賞」を贈り表彰しています。ゆうもあくらぶは、ユーモアを持って明るい社会づくりに貢献しようと、地道な努力を続けている会なのです。
初代会長は徳川夢声、次いで石黒敬七、石田博英、江崎真澄と変わり、現在は森喜朗が務めています。
今や日本は、娯楽も多く飽食の時代になりましたが、あまりにも経済が最優先になってしまいました。
またもやユーモアとゆとりが大切な時代になったといえます。